2013/12/29

紀子の食卓

幸せな家族って何ですか?

ネットレンタル映画で『紀子の食卓』を観た。園子温監督の作品。『自殺サークル』の続編。「レンタル家族」に参加する姉妹二人と、彼女達を探す父親の物語。主人公の紀子は掲示板「廃墟ドットコム」で知り合った「上野駅54さん」に会いに家出をして東京へ向かう。満足度★★★★★。「家族」や「役割」がキーワード。

映画『紀子の食卓』

第40回カルロヴィヴァリ国際映画祭で特別賞賛賞と国際シネクラブ連盟ドン・キホーテ賞のW受賞。姉の紀子役は吹石一恵。妹役は吉高由里子。父親役は光石研。上野駅54さん(クミコ)役は、つぐみ。この4人の迫真の演技が、ラスト場面「食卓」で感動を呼ぶ。挿入歌ででてくるマイク眞木『バラが咲いた』が印象的。

園子温監督の作品はこれまでに『愛のむきだし』(2008年)、『冷たい熱帯魚』(2011年)、『ヒミズ』(2012年)を観た。今回この『紀子の食卓』(2006年)と作品が持つ雰囲気や世界観がとても似ており、「園子温監督らしさ」を体感。痛々しい、生々しい、心に刺さるような、普通じゃない映画。実際ナイフが刺さったりするのも定番。登場人物が口にする「詩的な長セリフ」も特徴の一つ。『希望の国』(2012年)はまだ観ていないので、近々観よう。

予告編『紀子の食卓』

マイク眞木『バラが咲いた』

2013/12/21

桐島、部活やめるってよ

「戦おう。オレたちはこの世界で、生きて行かなければならないのだから。」

映画『桐島、部活やめるってよ』を観た。朝井リョウ原作。青春群像劇。学校の人気者が部活を辞めたことで波紋が広がる。満足度★★★★☆。

第36回日本アカデミー賞(2013年3月)で、「最優秀作品賞」「監督賞」「編集賞」の三冠を受賞。また「話題賞」にも選ばれている。

YouTubeで「町山智浩の映画塾」の「予習編」を観て、『桐島、部活やめるってよ』の本編を観て、再び町田さん解説の「復習編」を観るというサンドイッチ。「原作の小説と映画の違い」や「吉田大八映画監督の狙い」「過去の映画との対比」など、今回も『宇宙人ポール』に続き町山さんの解説が抜群に面白かった。

こういう「解説付き」で映画を観る楽しみはありだな。表面的な事だけでなく、深いところまで知ることができる。次ぎは朝井リョウの原作を読もう。

■予告編動画『桐島、部活やめるってよ』

■町山智浩の映画塾『桐島、部活やめるってよ』(予習編)

■町山智浩の映画塾『桐島、部活やめるってよ』(復習編)



【本】

朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』を電子書籍で読んだ。小説すばる新人賞受賞作。バレー部を辞めた桐島の波紋が広がる。5人のオムニバス。「宮部実果」のとこで涙々(電車中だったので、心の中で)の大感動!満足度★★★★★。

朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ

「映画⇒町山智浩さんの解説動画原作」という順番で『桐島、部活やめるってよ』の世界を楽しんだ。自分が中学時代にやったバレーボール部が題材だったこともハマった理由の一つ。バレーボール部の体育館に漂う「空気感、雰囲気」みたいなのがとても懐かしい。今から思うと「バレーボール」をすること自体が純粋に楽しかった。

映画と小説では、物語の設定はほとんど同じだが、「物語の展開」や「詳細」は全然違った。どちらもとても面白かった。「本(活字表現)の面白さ」と「映画(映像表現)の面白さ」が対比でわかるとてもいい例かも。

「高校のクラス内での階級、上・下」ってなのもテーマだが、同世代の日本人であれば誰もが感じたであろう独特の雰囲気。これは若者読者の共感を得るはずだ。「全国中の日本人の高校生が同じ雰囲気を味わう」というのも、ある意味変なカンジであるが、その背景として「テレビ文化」による全国一律化や、教育指導要領で縛る「全国一律化」の公立学校の教育の賜物というのがあるのかいな、とふと思った。

それであれば、私立高校で「自由な校風」をENJOYした人達は共感できないのかも(体験していないので、偏見が入った想像の世界だけど)。子供の教育的にはそちらの方が良いと思う。「人間的」なので。しかし、日本の企業に入れば、同じような一律文化を結局味わうことになるのだが・・。

このように「皆と一緒が好き(一律化文化?)」という日本人の文化が高校生活にも影響が大きいのだろうな、ということを本テーマではないが、間接的に感じた。

朝井リョウの作品はこの『桐島、部活やめるってよ』が始めて。面白かったので、他の著作も読みたくなった。第148回直木賞を受賞『何者』や、『少女は卒業しない』『チア男子!!』が気になる。これらも正月休暇の課題図書?

2013/12/20

論点思考

内田和成『論点思考』を電子書籍で読んだ。論点とは「解くべき問題」。それを設定するプロセスを「論点思考」と呼ぶ。企業の研究職として「役立ちそうな内容」が多かった。満足度★★★★★。

著者はボストンコンサルティング(BCG)に25年間勤めた名コンサルタント。次ぎは著者が『論点思考』とセットと言う『仮説思考』を読もう。正月休暇で読めるかな。

内田和成さんのBlogで紹介される「書籍」の記事を読むのも面白かった。何かと勉強になるなぁ。

■著者Blog『内田和成のビジネスマインド

内田和成『論点思考
【語録】

あなたは正しい問題を解いているか?すべては「問題設定」に始まる。

仕事で大切なのは「問題解決」だが、それは「正しい問題を解いている場合に限る」という前提がつく。ビジネスの世界では、学校と違って、誰かが「この問題を解きなさい」と教えてくれる訳ではない。 自分で「課題は何か」を考え、その解決法も自分で考える必要がある。この能力がなければ、リーダーや経営者にはなれない。

何かの拍子で、こうした能力がない人物がリーダーや経営者になってしまったときには、率いられる組織やグループは、「取り組むべき課題」がわからず、右往左往する羽目になる。

論点とは「解くべき問題」のこと。その解くべき問題を設定するプロセスを「論点思考」と呼ぶ。

問題解決のプロセスは、いくつもの論点候補の中から本当の論点を設定し、その論点に対するいくつかの「解決策」を考えだし、そこから最も良い解決策を選び、実行していくという流れで進む。つまり、「論点思考」は問題解決プロセスの最上流にある。

最初に「論点設定」を間違えると、「間違った問題に取り組む」ことになるので、その後の問題解決の作業をいくら正しくやったところで、意味のある結果は生まれない。論点設定に戻って、やり直すことになる。短期間で答えを出すためには、「最初の論点設定」が極めて重要になる。

企業は数えきれないくらいの問題を抱えている。それらをすべて解決しようと思っても、時間もなければ、人も足りない。仕事には期限があり、こなすことのできる工数も限られている。その中で「解くべき問題の候補」を拾いだし、その中から正しく選択し、解いて成果をあげなければならない。「成果をあげる」ためには「問題が大切」かがわかる。

「論点設定を正しく行う」ことで、考えるべきことは限定され、「考えなくてもよい、その他多くを捨てる」ことができる。これが論点思考のメリットである。

2013/12/14

宇宙人ポール

「たまには冒険するのもいいだろう」

ネットレンタル映画で『宇宙人ポール』を観た。陽気な宇宙人ポールとSFオタク英国人が米国のSFの聖地で遭遇。感動するSFコメディ。満足度★★★★☆。


コメディー映画を久しぶりに観た気がする。SFネタが色々なところに散りばめてあるらしい。この編が詳しい人なら、もっと面白いのかも。本来シリアスになりそうな設定が、小ネタの連続で、全部笑いにつながる。徹底的な「振り切り感」が良かった。

「笑いは人生の潤滑油」にみたいな気分を体感。笑いだけでなく、最後はまさかの感動!いい話でもあった。エイリアンの名前「ポール」は、感動の元にもなっているのだが、連呼されるこの名前を聞いて、知人の「ポールさん」が何度も頭をよぎった・・。

■映画『宇宙人ポール』予告編

"町山智浩の映画塾"で『宇宙人ポール』の解説(予習編、復習編)を観ると映画の背景がとてもよくわかって面白かった。町山さんの解説は凄いな。『宇宙人ポール』は「大人になれない人達」の映画だったのか。「キリスト原理主義」と「ポール」の関係もそういうことだったか、と納得。「アメリカ文化とは何か」まで踏み込んだ深い映画だったのだ。

■町山智浩の映画塾『宇宙人ポール』(予習編)

■町山智浩の映画塾『宇宙人ポール』(復習編)

2013/12/07

ハンナ・アーレント

京都シネマで映画『ハンナ・アーレント』を観た。ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)がナチス戦犯の裁判に立ち会う。満足度★★★★☆。



ハンナ・アーレントの提唱した「悪の凡庸さ」(the banality of evil)は、ナチスだけでなく、世界中の官僚的組織で起ったか、起こりえる概念だ。最近の日本でも国会の動きをみていると危なくなってきた感がある。まさに「悪の凡庸さ」の前触れではないのかいな。ヤバしJapan!

【悪の凡庸さ(陳腐さ)】
アーレントがアイヒマン裁判のレポートで導入した概念。上からの命令に忠実に従うアイヒマンのような小役人が、思考を放棄し、官僚組織の歯車になってしまうことで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまうということ。「悪」は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、「ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人」によって引き起こされてしまう事態を指している。



2013/12/01

かぐや姫の物語

T・ジョイ京都で映画『かぐや姫の物語』を観た。高畑勲監督のジブリ作品。原作「竹取物語」。かぐや姫の犯した罪と罰とは何か。満足度★★★★★。


いい映画で、めちゃめちゃ感動した。今年1番泣いた映画かも(T_T)。「そりゃ反則ですよ」という場面が、最後に行けば行くほど多々有り。「娘の結婚式のパパの気持ち」は、こういう感じかなと思った。

エンディングで流れる主題歌「いのちの記憶」(二階堂和美)がまた素晴らしい。この曲をiPhoneで聞くと、映画の余韻に浸れるな。

かぐや姫の性格や行動から随所で「ナウシカ」を連想した。監督は違えど、ジブリが描く「お姫様像」には共通点があるな。「女の子にはこうあってほしい」という男から観た理想像のような感じもするが・・。女性の視点から見ても「かぐや姫」に共感するところが数多くあるとは思う。

宮崎駿監督の『風立ちぬ』に続いて、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』と、今年のジブリ映画は当たり年だなぁ。人生に必要なのは、「出世やお金」ではなく「人間性(短文表現は難しい・・だから映画になる)」ですよ、というメッセージを受け取った気がする。人生のベテランになり俯瞰できると観えるだろなと。

「親が思う子供の幸せ(教育パパママの視点)」と「子供が思う幸せ」はイコール(一緒)ではない、と1000年以上も前の物語だが、現在でも同じ構図の事が続いているな。「親ひいたレールの上を歩む人生(かぐや姫曰く"ニセモノ")」ではなく、自分の決めた路の人生を歩みたいと願う子供。この点で、人類は進歩していないのか、そもそも人間とはそういう生き物なのか。人生の新参者として生まれ、アマチュアのまま人生を終える。IT革命などで、日本人の生き方も随分変わるんちゃうん、とポジティブに21世紀はだいぶ変わることを期待。

かぐや姫の「月に帰る」ということは、何んらにせよ「死の世界」を連想した。白血病であったり、将来を悲観して自殺であったり。もしくは、昔なら中国大陸や朝鮮半島に帰る、というのかもしれないな、とも思った。

Twitterのハッシュタグ「#かぐや姫」でみると、有名人、一般人に問わずタイムリーに「かぐや姫の物語」を観た感想を観れるので、とても面白い。キレがあったり、ぶっ飛んだ感想がたくさん。これが「多様性」というやつか。他の方法では簡単にできないTwitterの効力だ。それをみていて「女童の存在感が凄い」というのが多かった。同感!

かぐや姫が美人さんで、翁の媼の行動は想定どおりだったが、まさかまさかのかぐや姫の付き人の「女童」が、とても印象に残ることになろうとは。かぐや姫に迎えが来て月へ去るときに、女童が子供達とわたべ唄を歌うシーンは、猛烈に感動する。この映画の一番印象の残った感動シーンだった。そして、それが何故かは、よくわからない。今後、ネットで誰かが「女童シーンの感動の心理状態」を解説してくれるだろう。

『かぐや姫の物語』予告