2013/12/29

紀子の食卓

幸せな家族って何ですか?

ネットレンタル映画で『紀子の食卓』を観た。園子温監督の作品。『自殺サークル』の続編。「レンタル家族」に参加する姉妹二人と、彼女達を探す父親の物語。主人公の紀子は掲示板「廃墟ドットコム」で知り合った「上野駅54さん」に会いに家出をして東京へ向かう。満足度★★★★★。「家族」や「役割」がキーワード。

映画『紀子の食卓』

第40回カルロヴィヴァリ国際映画祭で特別賞賛賞と国際シネクラブ連盟ドン・キホーテ賞のW受賞。姉の紀子役は吹石一恵。妹役は吉高由里子。父親役は光石研。上野駅54さん(クミコ)役は、つぐみ。この4人の迫真の演技が、ラスト場面「食卓」で感動を呼ぶ。挿入歌ででてくるマイク眞木『バラが咲いた』が印象的。

園子温監督の作品はこれまでに『愛のむきだし』(2008年)、『冷たい熱帯魚』(2011年)、『ヒミズ』(2012年)を観た。今回この『紀子の食卓』(2006年)と作品が持つ雰囲気や世界観がとても似ており、「園子温監督らしさ」を体感。痛々しい、生々しい、心に刺さるような、普通じゃない映画。実際ナイフが刺さったりするのも定番。登場人物が口にする「詩的な長セリフ」も特徴の一つ。『希望の国』(2012年)はまだ観ていないので、近々観よう。

予告編『紀子の食卓』

マイク眞木『バラが咲いた』

2013/12/21

桐島、部活やめるってよ

「戦おう。オレたちはこの世界で、生きて行かなければならないのだから。」

映画『桐島、部活やめるってよ』を観た。朝井リョウ原作。青春群像劇。学校の人気者が部活を辞めたことで波紋が広がる。満足度★★★★☆。

第36回日本アカデミー賞(2013年3月)で、「最優秀作品賞」「監督賞」「編集賞」の三冠を受賞。また「話題賞」にも選ばれている。

YouTubeで「町山智浩の映画塾」の「予習編」を観て、『桐島、部活やめるってよ』の本編を観て、再び町田さん解説の「復習編」を観るというサンドイッチ。「原作の小説と映画の違い」や「吉田大八映画監督の狙い」「過去の映画との対比」など、今回も『宇宙人ポール』に続き町山さんの解説が抜群に面白かった。

こういう「解説付き」で映画を観る楽しみはありだな。表面的な事だけでなく、深いところまで知ることができる。次ぎは朝井リョウの原作を読もう。

■予告編動画『桐島、部活やめるってよ』

■町山智浩の映画塾『桐島、部活やめるってよ』(予習編)

■町山智浩の映画塾『桐島、部活やめるってよ』(復習編)



【本】

朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』を電子書籍で読んだ。小説すばる新人賞受賞作。バレー部を辞めた桐島の波紋が広がる。5人のオムニバス。「宮部実果」のとこで涙々(電車中だったので、心の中で)の大感動!満足度★★★★★。

朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ

「映画⇒町山智浩さんの解説動画原作」という順番で『桐島、部活やめるってよ』の世界を楽しんだ。自分が中学時代にやったバレーボール部が題材だったこともハマった理由の一つ。バレーボール部の体育館に漂う「空気感、雰囲気」みたいなのがとても懐かしい。今から思うと「バレーボール」をすること自体が純粋に楽しかった。

映画と小説では、物語の設定はほとんど同じだが、「物語の展開」や「詳細」は全然違った。どちらもとても面白かった。「本(活字表現)の面白さ」と「映画(映像表現)の面白さ」が対比でわかるとてもいい例かも。

「高校のクラス内での階級、上・下」ってなのもテーマだが、同世代の日本人であれば誰もが感じたであろう独特の雰囲気。これは若者読者の共感を得るはずだ。「全国中の日本人の高校生が同じ雰囲気を味わう」というのも、ある意味変なカンジであるが、その背景として「テレビ文化」による全国一律化や、教育指導要領で縛る「全国一律化」の公立学校の教育の賜物というのがあるのかいな、とふと思った。

それであれば、私立高校で「自由な校風」をENJOYした人達は共感できないのかも(体験していないので、偏見が入った想像の世界だけど)。子供の教育的にはそちらの方が良いと思う。「人間的」なので。しかし、日本の企業に入れば、同じような一律文化を結局味わうことになるのだが・・。

このように「皆と一緒が好き(一律化文化?)」という日本人の文化が高校生活にも影響が大きいのだろうな、ということを本テーマではないが、間接的に感じた。

朝井リョウの作品はこの『桐島、部活やめるってよ』が始めて。面白かったので、他の著作も読みたくなった。第148回直木賞を受賞『何者』や、『少女は卒業しない』『チア男子!!』が気になる。これらも正月休暇の課題図書?

2013/12/20

論点思考

内田和成『論点思考』を電子書籍で読んだ。論点とは「解くべき問題」。それを設定するプロセスを「論点思考」と呼ぶ。企業の研究職として「役立ちそうな内容」が多かった。満足度★★★★★。

著者はボストンコンサルティング(BCG)に25年間勤めた名コンサルタント。次ぎは著者が『論点思考』とセットと言う『仮説思考』を読もう。正月休暇で読めるかな。

内田和成さんのBlogで紹介される「書籍」の記事を読むのも面白かった。何かと勉強になるなぁ。

■著者Blog『内田和成のビジネスマインド

内田和成『論点思考
【語録】

あなたは正しい問題を解いているか?すべては「問題設定」に始まる。

仕事で大切なのは「問題解決」だが、それは「正しい問題を解いている場合に限る」という前提がつく。ビジネスの世界では、学校と違って、誰かが「この問題を解きなさい」と教えてくれる訳ではない。 自分で「課題は何か」を考え、その解決法も自分で考える必要がある。この能力がなければ、リーダーや経営者にはなれない。

何かの拍子で、こうした能力がない人物がリーダーや経営者になってしまったときには、率いられる組織やグループは、「取り組むべき課題」がわからず、右往左往する羽目になる。

論点とは「解くべき問題」のこと。その解くべき問題を設定するプロセスを「論点思考」と呼ぶ。

問題解決のプロセスは、いくつもの論点候補の中から本当の論点を設定し、その論点に対するいくつかの「解決策」を考えだし、そこから最も良い解決策を選び、実行していくという流れで進む。つまり、「論点思考」は問題解決プロセスの最上流にある。

最初に「論点設定」を間違えると、「間違った問題に取り組む」ことになるので、その後の問題解決の作業をいくら正しくやったところで、意味のある結果は生まれない。論点設定に戻って、やり直すことになる。短期間で答えを出すためには、「最初の論点設定」が極めて重要になる。

企業は数えきれないくらいの問題を抱えている。それらをすべて解決しようと思っても、時間もなければ、人も足りない。仕事には期限があり、こなすことのできる工数も限られている。その中で「解くべき問題の候補」を拾いだし、その中から正しく選択し、解いて成果をあげなければならない。「成果をあげる」ためには「問題が大切」かがわかる。

「論点設定を正しく行う」ことで、考えるべきことは限定され、「考えなくてもよい、その他多くを捨てる」ことができる。これが論点思考のメリットである。

2013/12/14

宇宙人ポール

「たまには冒険するのもいいだろう」

ネットレンタル映画で『宇宙人ポール』を観た。陽気な宇宙人ポールとSFオタク英国人が米国のSFの聖地で遭遇。感動するSFコメディ。満足度★★★★☆。


コメディー映画を久しぶりに観た気がする。SFネタが色々なところに散りばめてあるらしい。この編が詳しい人なら、もっと面白いのかも。本来シリアスになりそうな設定が、小ネタの連続で、全部笑いにつながる。徹底的な「振り切り感」が良かった。

「笑いは人生の潤滑油」にみたいな気分を体感。笑いだけでなく、最後はまさかの感動!いい話でもあった。エイリアンの名前「ポール」は、感動の元にもなっているのだが、連呼されるこの名前を聞いて、知人の「ポールさん」が何度も頭をよぎった・・。

■映画『宇宙人ポール』予告編

"町山智浩の映画塾"で『宇宙人ポール』の解説(予習編、復習編)を観ると映画の背景がとてもよくわかって面白かった。町山さんの解説は凄いな。『宇宙人ポール』は「大人になれない人達」の映画だったのか。「キリスト原理主義」と「ポール」の関係もそういうことだったか、と納得。「アメリカ文化とは何か」まで踏み込んだ深い映画だったのだ。

■町山智浩の映画塾『宇宙人ポール』(予習編)

■町山智浩の映画塾『宇宙人ポール』(復習編)

2013/12/07

ハンナ・アーレント

京都シネマで映画『ハンナ・アーレント』を観た。ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)がナチス戦犯の裁判に立ち会う。満足度★★★★☆。



ハンナ・アーレントの提唱した「悪の凡庸さ」(the banality of evil)は、ナチスだけでなく、世界中の官僚的組織で起ったか、起こりえる概念だ。最近の日本でも国会の動きをみていると危なくなってきた感がある。まさに「悪の凡庸さ」の前触れではないのかいな。ヤバしJapan!

【悪の凡庸さ(陳腐さ)】
アーレントがアイヒマン裁判のレポートで導入した概念。上からの命令に忠実に従うアイヒマンのような小役人が、思考を放棄し、官僚組織の歯車になってしまうことで、ホロコーストのような巨悪に加担してしまうということ。「悪」は狂信者や変質者によって生まれるものではなく、「ごく普通に生きていると思い込んでいる凡庸な一般人」によって引き起こされてしまう事態を指している。



2013/12/01

かぐや姫の物語

T・ジョイ京都で映画『かぐや姫の物語』を観た。高畑勲監督のジブリ作品。原作「竹取物語」。かぐや姫の犯した罪と罰とは何か。満足度★★★★★。


いい映画で、めちゃめちゃ感動した。今年1番泣いた映画かも(T_T)。「そりゃ反則ですよ」という場面が、最後に行けば行くほど多々有り。「娘の結婚式のパパの気持ち」は、こういう感じかなと思った。

エンディングで流れる主題歌「いのちの記憶」(二階堂和美)がまた素晴らしい。この曲をiPhoneで聞くと、映画の余韻に浸れるな。

かぐや姫の性格や行動から随所で「ナウシカ」を連想した。監督は違えど、ジブリが描く「お姫様像」には共通点があるな。「女の子にはこうあってほしい」という男から観た理想像のような感じもするが・・。女性の視点から見ても「かぐや姫」に共感するところが数多くあるとは思う。

宮崎駿監督の『風立ちぬ』に続いて、高畑勲監督の『かぐや姫の物語』と、今年のジブリ映画は当たり年だなぁ。人生に必要なのは、「出世やお金」ではなく「人間性(短文表現は難しい・・だから映画になる)」ですよ、というメッセージを受け取った気がする。人生のベテランになり俯瞰できると観えるだろなと。

「親が思う子供の幸せ(教育パパママの視点)」と「子供が思う幸せ」はイコール(一緒)ではない、と1000年以上も前の物語だが、現在でも同じ構図の事が続いているな。「親ひいたレールの上を歩む人生(かぐや姫曰く"ニセモノ")」ではなく、自分の決めた路の人生を歩みたいと願う子供。この点で、人類は進歩していないのか、そもそも人間とはそういう生き物なのか。人生の新参者として生まれ、アマチュアのまま人生を終える。IT革命などで、日本人の生き方も随分変わるんちゃうん、とポジティブに21世紀はだいぶ変わることを期待。

かぐや姫の「月に帰る」ということは、何んらにせよ「死の世界」を連想した。白血病であったり、将来を悲観して自殺であったり。もしくは、昔なら中国大陸や朝鮮半島に帰る、というのかもしれないな、とも思った。

Twitterのハッシュタグ「#かぐや姫」でみると、有名人、一般人に問わずタイムリーに「かぐや姫の物語」を観た感想を観れるので、とても面白い。キレがあったり、ぶっ飛んだ感想がたくさん。これが「多様性」というやつか。他の方法では簡単にできないTwitterの効力だ。それをみていて「女童の存在感が凄い」というのが多かった。同感!

かぐや姫が美人さんで、翁の媼の行動は想定どおりだったが、まさかまさかのかぐや姫の付き人の「女童」が、とても印象に残ることになろうとは。かぐや姫に迎えが来て月へ去るときに、女童が子供達とわたべ唄を歌うシーンは、猛烈に感動する。この映画の一番印象の残った感動シーンだった。そして、それが何故かは、よくわからない。今後、ネットで誰かが「女童シーンの感動の心理状態」を解説してくれるだろう。

『かぐや姫の物語』予告

2013/11/30

君に友だちはいらない

瀧本哲史『君に友だちはいらない』を読んだ。満足度★★★★★。

とても刺激的なタイトルだ。その心は、必要なのは友達ではなく仲間。しかも「ウィークタイズ(弱いつながり)」。秘密結社を作れ。副題は「The Best Team Approach to Change the World」。

瀧本哲史さんの本は『武器としての決断思考』『武器としての交渉思考』がとても面白かった。仕事にも役立っていると思う。『僕は君たちに武器を配りたい』は、まだ読んでいないので、読んでみたい。



【語録】

「既存の組織や枠組み」に替わって、「個人が緩やかなネットワークでつながり、その連携の中で学習や仕事をし、プロジェクトベースで離合集散する」という世界観が現実のものになりつつある。

常に複数の緩やかなつながりを持った組織に身をおき、解決すべき課題を見つけて、共通の目標に「仲間」とともに向かっていくこと。これがグローバル化が進展する時代に、人々が幸福に生きるための基本的な考え方になるはずだ。

パラダイム・シフトは「世代交代」が引き起こす。古いパラダイムを信じている前の世代を説得して意見を変えさせるのは不可能であるし、それに労力を注ぐのは時間の無駄だ。自分達の信じるパラダイム、必要とされるパラダイムの信奉者を少しずつ増やしていく。そうやって「仲間」を作っていくうちに、いずれ旧世代は死に絶えて、新たなパラダイムの時代となる。

世の中を変えるのは、いつの時代も「新人(ニューカマー)」である。新しいパラダイムが必要になっているというのは、これまでの価値観が役に立たない状況になっているからだ。全く、前例が通用しない状況の中で、新たな環境にいち早く適応し、生き残っていくのは、常に若い世代なのである。

新しい事を始めようとしている人、若い人達に必要なのが「チームをつくる」ことなのだ。新しい価値観も、新しいパラダイムも、一人の力だけでは世の中に広めていくことは難しい。自分のビジョンを共有し、その実現に向けて行動する仲間を見つけ出して、初めてスタートラインに立つことができる。

世界で結果を残すために、最も重要なことを一つ上げるとすれば、それは「相棒」、つまり「ビジネス・パートナー」だ。ネイティブの信頼できるパートナーを見つけられれば、日本人の僕より10倍、100倍早く仕事が進んでいく。

異国の地で、信頼できるパートナーを見つけ出すためには、どうすればいいのか。「シンプルなプレゼン」が大切。外国人へのプレゼンテーションは、シンプルなアイデアでないと伝わらない。僕は事業について、2枚の写真で説明する。0点の答案写真と、東進でのDVD授業を受けた後の答案の写真。

もう一つ大事にしているのが、「俺はやっているぞ」と「後ろ姿」を見せること。実際に取り組んでいて、結果を出していることが伝われば、「コイツはマジなんだ」と分かってもらえる。

チームで活動するようになって感じるのは、「本当の仲間は一朝一夕にはできない」ということ。楽しい時も、辛い時も、一緒に過ごして初めて魂が通じ合うような関係を築ける。沢山の問題に直面し、それを乗り越えていくたびに関係性が強くなった。その関係を「laugh & tough」と呼んでいる。

一人の個人が持っている「強み」だけで、立ち上げから数百億円の売り上げを達成するまでに、会社を大きく成長させることは、まずえりえない。会社の成長スピードに合わせて、その時点での成功に必要な人材を、どこからか探してきて、評価をして、「人に投資する」必要が出てくるのだ。

多くのベンチャー企業が「設立3年以内に倒産」するが、その大きな理由の一つが「必要な時に、必要な人材を集めることができなかったから」なのである。

モノも知識も、沢山持ち過ぎると、それを自分がコントロールしていると思っていながら、逆にそれらに縛られてしまうことがある。いわゆる「専門バカ」がそれだ。ある分野については膨大な知識を持っているがゆえに、それ以外の視点からは物事が見えなくなってしまうのだ。

それを防ぐためにも、時々は自分の持つ「モノ」や「知識」を手放した方が良い。これは勇気のいる事だが、「持っているものが多い」が貴いのではなく、「必要なものが少ない」のが貴いのである。

「教養」の持つ大切な機能の一つが「自分と違う世界に生きる人と会話ができるようになる」ことだ。「外国語の習得」もそのためにある

「見晴らしの良い会社」に行った方が良い。「見晴らしが良い」というのは、その会社の扱っている商品やサービスを通じて、業界全体を取り巻く状況を含めて、広く理解できるという意味だ。

あらゆる業界内で「見晴らしのよい場所」に位置する会社や職場があるはずだ。そういう立ち位置を見つけたら、業界内のルールや常識を勉強しなごら、工夫や改善のチャンスを見出す。そして業界の中で良い仕事をしている人々と関係を構築し、彼らに学んでいけば、いずれは強いネットワークが自分の周りにできていくはずだ。

ルネサンス。垣根を越えた様々な才能が集まることで、専門領域を超えて、お互いに影響を与え合い、その結果、イノベーションが爆発的に起きた。そうした人が集まる場所を「交差点」と呼ぶ。

人脈のネットワークを構築する時にも、自分自身がその「交差点」になる事で、人脈の価値が単なる足し算ではない、相乗的な価値を生むわけなのだ。

チームのメンバーが似たような専門分野の出身者である場合、イノベーションの平均的な経済価値は高いが、画期的な発明が生まれる可能性は極めて低い。

それと対照的に、「多様な専門分野の出身者からなるチーム」が生み出すイノベーションは、失敗の可能性も高く、平均すると金銭的価値も低くなるが、ひとたび画期的な発明が生まれると、その時点で最も優れた発明をはるかに凌ぐ高い価値を生み出す。(リー・フレミング/経営論の研究者)

自分の持っているリソースやバックグラウンドと、まったく異なる人とつながった方が、大きな価値が生まれる。そのつながりを「ウィークタイズ(弱いつながり)」と名付けた。異質の人と出会うことで、自分でも思いもかけなかった「掛け算の変化」が生まれるきっかけとなる。飛躍的にチャンスが広がる可能性が高まる。

「自分とは違うネットワークを持っている人」とつながることが、後々に大きな意味を持ってくる。

ギブしてギブしてギブしまくろう。ギブの5乗をすることにした。その結果、しばらくすると、自分のまわりに、私がかつて支援したことがある人達が集まってきた。「Sに助けてもらった」というつながりで、お互いに交流するようになり、いつの間にかネットワークを作るようになった。困っていると、そのネットワークの誰かが勝手に助けてくれるようになり、それが結果的に自分に大きなテイクをもたらしてくれるようになったのだ。

成功というのは、「その人のまわりの人の成功」によって決まる。ギブ&テイクの関係を一回ごとに築こうとすることに意味がない。とにかく「ギブ」をしまくっていることで、「ギブのネットワーク」がまわりに構築され、そのネットワークが大きくなり、情報や交流の流通量が高まれば高まるほど、もたらされるメリットも大きくなる。

成功のポイントは「行動をする専門家」を集めることができたこと。「ウィークタイズ」が決定的な役割を果たした。「弱いつながり」であっても、つながっている相手の「信頼性」がきちんと担保されていることが極めて重要である。大震災のような危機の時には、本当に役立つ人脈とは、それ以前の日常の交流を通じて、「信頼が蓄積されたネットワーク」だけ。

ネットワークは「自分がどういう人間か」で決まる。

ビジョンをぶち上げろ。ストーリーを語れ。
Give your vision, and repeat your story. 

身の危険を顧みず、勇気を持って冷たい海に飛び込む「一匹目のペンギン」のように、まったく新しい市場に、リスクを背負って打って出る人のことを、英語圏では「ファースト・ペンギン」と呼んで賞賛する。

従来の日本の教育は、工業化する社会の中で、決められたモノを、決められた手順で作るのに最適なスキルをもった人を生み出すためのものだった。これからの教育は、21世紀の世界を生き残る力を与えてあげることを目的として、それができるクリエイティビィテイとリーダーシップを持つ人を教師にしないといけない。(松田悠介/NPOティーチフォージャパン)

ビジョンを作る上で最も大切な事は、最初に「でかすぎる絵を書く」こと。その実現に向けて努力していくうちに、回り道をしているようでありながら、徐々にビジョンが現実のものになっていくのである。

最初に掲げるビジョンは大きければ大きいほど良い。同時に、それは「多くの人が共感できる普遍的なもの」でなければならない。そのビジョンを常にチームの全員が念頭に置いて行動しなければならないし、簡単に変えるのはもっての他だ。だが、最終的なビジョンが揺るがせないとしても、途中途中の「目的地」はどんどん変えて良い。

むしろ、様々な寄り道を経ることによって、外部や協力者からのフィードバックを得ることができる。その途上で「当初の目的」からより深化した「真の目的」が発見されて、最終的なビジョンに近づいていくことができるのである。

リーダーがビジョンを示し、それに賛同して集まった仲間とともに事業を継続していく中で、自然と自分のポジションが決まっていく。自分は「探す」ものではなく、「周囲との関係」で決まってくるのである。

強いチームを作るには、冒険者となって、ビジョンとストーリーを語れ。ビジョンを語る上で最も大切なことは、「でかすぎる絵を書く」こと。勇気を持ってぶち上げろ!

会社で生き残るには「自分以外の誰にも生み出せない価値」を生まねばならない。

「色々な分野に才能がある人」ほど、中途半端にどんなポジションにも適応してしまうので大成しない。「特定の才能しかない人」が「正しいポジション」に身を置いたとき、パフォーマンスは最大化する。「間違った場所」に行ってしまえば、その才能は発揮されないまま埋もれてしまうのだ。

コンサルティング会社は課題の解決に「他業界の当たり前」を応用する。他業種の先行する成功事例をもとに、テーラーメイドで新しい解決法を作り出す。テーラーメイドの解決法を創りだすときにも、鍵となるのは「チーム」の概念だ。その時重要なのは、コンサルティング会社のメンバーだけをチームと考えるのではなく、顧客も取引先も「あらゆる関係者」を、自分たちの「チームメンバー」であると見なすことである。

そのビジネスを取り巻く商流(商品の企画から生産、小売、顧客の手元に届くまでの流れ)全体がチームの意志と行動によって変革され、「その中にたまたま自社とそのビジネスモデルが存在している」という状況が生まれたとき、真に課題は解決され、自社に大きな利益がもたらされるのである。プロジェクトに関わるチームメンバーを、自社のスタッフに限定することは、自分たちが見落としている変革の大きな可能性の芽を摘むことになりかねない。

「顧客を自分たちの仲間に引き込む」という姿勢は、ベンチャーの経営では必須となる。まったく新しいビジネスは、それで上手く行ったという前例が無いゆえに、商品を買う側が大きなリスクを背負うことになるからだ。

どうすれば「最初の夢を買ってくれる顧客」をつかまえることができるのか。その答えこそが「顧客を自分のチームの一員に引き込む」ことである。

その商品を買うことで得られるメリットが事前にわかっている場合は、「どれだけ経済性があるか」「競合の商品に比べてどれくらい優れているか」という競争になる。その反対に、商品を買うことで得られるメリットがはっきりしていない場合は、顧客や投資先をチームに引きずり込み、その商品の「ファン」となってもらって、一緒に広報活動や販売に取り組んでもらえるぐらいにしないと、うまくいかないのである。

まずは「自分が所属する業界」について正確に、深い理解をする。その上で、自分の業界を大きく変える可能性のある「ネタ」について考える。その際「そもそも、その業界がある意味は何なのか」を気をつける。同時に「業界のキーパーソン」あるいは「ビジョナリー(先進的なビジョンを示す人物)は誰かを考えてみよう。自分の会社とその人とはどのような関係にあるか。その人物はどんなことを為そおうとしているのか。それを考えてみることで、自分がどのような道に進めば未来が明るくなりそうか、ヒントを掴むことができる。

今いる業界、会社の中で自分は何をしたいのか。今持っているスキルや知識や経験によって何ができるのか。自分の出自や過去の出来事で、大きなものは何か。そして大切なのは、それらを生かして「世の中でどのような貢献をしたいのか」という視点を持つことだ。「個人のアイアデア」が「社会の進歩」とつながったとき、その一人の脳内で生まれた思いつきが、社会を変える「ビジョン」となる。

ストーリーを人に話すときに大切なのは、その話に「ロマンとソロバン」があるかどうか。ロマンはビジョンに通じる。「自分はこのように社会を変えたい」という熱い思い。それがロマン。ロマンを実現するには、それと同じくらいソロバン(お金、時間、労力のコスト計算)をきちんと考える必要がある。多くの人が「お金を払ってでも解決したい」と思えるような非効率や満たされないニーズがあるからこそ、ロマンはロマンになりうるのである。

採用の時必ず次ぎの質問をする。「今まであなたがやってきた仕事で、最も会社を儲けさせたのは何でしょうか。チームでの仕事の場合、あなたがそこで果たした主導的な役割は何ですか」。これに答えられない人は採用しない。逆にきちんと仕事で結果を出してきた人は、この質問に即答できるはずだ。

日本の家電メーカーが生き残る道は、基本的に二つしかない。一つはアップルのように、それまで誰が見たこともないような並外れた製品のコンセプトだけを作り、実際の生産については、外部の会社に委託してしまう方法だ。もう一つの方法は、ニッチだが、特定の分野では非常に強い部品を提供する会社として生き残っていく。

「ぜひとも仲間に引き入れたい人物」がいるときに、アメリカの企業経営者は「大きなビジョンやテーマ」をその人に与えることがよくある。

その仕事の未来にある「社会的インパクト」と「その達成のために、あなたの力がどれだけ必要か」ということ。この二つを提示して、「世界を変えるようなビックビジネスを一緒にやろうぜ」と持ちかけるのである。

アメリカの強さは、できる人間にわけの分からない「下積み作業」をさせないことにある。人を育てるためには、アメリカのベンチャー企業よように、いきなりトップスピードの現場に放り込む事が一番早い。

今の日本企業には、「志が大きなチャレンジを数多く繰り出す」という姿勢が欠けている。だから、かつてのウォークマンのような革新的な製品を生み出せずに、どうでもいいような付加機能を「てんこ盛り」したモデルチェンジ商品ばかりが発売され続けるのである。

アメリカの凄いところは、一つの産業の隆盛が終わっても、次々に「タマ」を変えて繁栄を続けてきたところにある。その裏側には「自分達が市場のルールを作る」という強い姿勢がある。

組織には「目に見えるもの」と「目に見えないもの」がある。公的な組織の中で話されていることよりも、非公式組織の中で話される情報の方が、本質的に重要で、自社や業界の動向をいち早く捉えていることは少なくない。

大切なのは「冗長性の少ないネットワーク」をなるべく多く持つこと。「冗長性」とは情報科学でよく使われる言葉で「無駄や重複のある状態」のことを言う。つまり「冗長性の少ないネットワーク」とは、自分がこれまで所属してきたネットワークと、重なる部分が少ないネットワークのことだ。

「自分のことを知らない人達」ばかりいるネットワークの方が、自分にとって価値が高い。自社だけの狭い組織で働き続けていると、「自社の常識は非常識」の状態に、知らず知らずに陥っている。「他業界の常識」については、その存在すら知ることができない。だから、自分と全く関わりのない集団に入れば、自然と「外部の価値観」を知ることになる。

夢を語り合うだけの「友だち」は、あなたにはいらない。あなたに必要なのは、共に試練を乗り越え、一つの目的に向かって突き進んでいく「仲間」だ。必要なのは、同じ目標の下で、苦楽をともにする「戦友」だ。友達も仲間も他人から「配られるもの」ではなく、自分自身の生き方を追求することで、自然にでき上がっていくのだ。

「他人の作った作り物の物語」を消費するのではなく、「自分自身の人生という物語」の脚本を書き、演じろ。

(瀧本哲史『君に友だちはいらない』)

2013/11/24

あなたはなぜチェックリストを使わないのか?

アトゥール・ガワンデ『あなたはなぜチェックリストを使わないのか?』を読んだ。満足度★★★★★。

「危機管理⇒チェックリスト⇒コミュニケーション&チームワークの大切さ」がよくわかる。最後の方の「ハドソン川の不時着」の 話がハイライトであり、圧巻だ!チェックリストの効力も凄いが、航空業界の危機対応力も凄いな。仕事で役立てるためには、もう一度読み直せねば。

閉塞感ある日本の会社も「チーム」「コミュニケーション」の2つの改善を行えば、色々な意味でベースは良いだけに、相当いい成果が出るのではなかろうか。


【語録】

人間の記憶力や注意力には限界があるので、見逃しやミスはどうしても起きてしまう。チェックリストはそのような失敗を防いでくれる「安全網」なのだ。

プロによって設置されたが、それでも絶対に問題がないとは言いきれない。いつ何が起こるかわからない。きっと何か問題は起きる。だが、「しかるべき人達」を集め、「チームとして話し合う時間」を作ってやれば、深刻な問題を見極め、それを解決することができるはずだ。そのような信念でこの「チェックリスト」は作られていた。

建設業界の人々は「コミュニケーションの力」を信用している。たとえ経験豊富なエンジニアであろうと、一個人の力を当てにはしない。彼らが信用するのは「集団の力」だ。複数人を問題に取り掛からせ、「チームとして判断」してもらう。

「現状把握とコミュニケーションの円熟化」こそが、ここ数十年の建築の最大の進歩だ。建築業界の人々は、自分達のやり方に驚くほど信頼を寄せている。例えどんなに複雑で深刻な問題でも、「コミュニケーションを確実に取る」ことで解決していく。

本当に複雑な情況、つまり「一個人で知るのは不可能な量の知識を必要とし、不確定要素が多い状況」では、「中央から全てを指示」しようとすると必ず失敗する。これがハリケーン・カトリーナの本当の教訓。

誰にも予期できない、想定の枠をはるかに超えた大災害だった。しかし、それこそがまさしく「複雑な問題」の定義なのだ。「複雑な問題」に対処するには、昔ながらの「一極集中の指令システム」ではなく、「別の方法」が必要なのだ。

複雑な状況に一番うまく対応したのは、大手量販店のウォルマートだった。状況を聞くと「わが社はこの最大級の災害に対応していく。自分が持つ権限以上の決断を下さなければならない状況もたくさん発生すると思う。手元にある情報を元にベストの決断をしろ。そして何より、正しい事をしろ」。社長の命令はそれだけだった。それは各支店長にも伝わり、各自が取るべき姿勢が明確になった。

「各自が柔軟に行動できる余地」を与えるが、「お互い協力し合い、共通のゴールへの進み具合を確かめ合う」といった制約も設ける。複雑な問題に対処するには、「自由と制約の適度な配合」が欠かせない。

どの専門職にも「プロフェッショナリズム」というものがある。その職務の理念と義務をまとめた「行動の規範」だ。プロフェッショナリズムには三つの要素が必ず含まれている。

第一に「無私」であること。どの職業であれ、他人から責任を預かる者は、自分の利益よりも、頼ってくる者の問題や心情を考えるべきだ。第二に「腕」があること。技術と知識を日々研鑽することが求められている。第三に「信用」に足ること。自分の職務に誠実な態度で臨む必要がある。

航空業界の人は、そこに「四つ目」を加えた。「規律」だ。よくできた手順には絶対に従うこと。必ず他者と協力し合うこと。一人ではとても習得しきれない膨大な量の知識を要する現代医療では、「個人の判断」に任せるのは愚策だ。「古い価値観」にしがみついていては、良い医療は提供できない。本当に必要なのは、「絶対に協力し合う」という決まりを作り、常にそれに忠実であることだ。

「規律に忠実でいる」のは難しい。「信用に足る」ことや「腕がある」ことなどよりも難しく、「無私でいる」ことよりも難しいかもしれない。人間というのは「誤りやすく、気まぐれでな生き物」なのだ。私達は、新しくて刺激的なものには飛びつくが、「細部まで丁寧に目を配る」のは面倒だ、と思ってしまいがちだ。私達が「規律で忠実でいる」ためには、「意識的に努力」する必要がある。だからこそ、航空業界は「規律を守ることが当たり前」になるように尽力してきたのだろう。

チェックリストは、業務の邪魔となってしまうような「融通の効かない義務」であってはいけない。どんな単純なチェックリストでも、何度でも改訂して洗練していく必要がある。航空機メーカーが作るチェックリストには、必ず作成日が記されている。常に変わっていくものだからだ。チェックリストは「私達を補佐するもの」だから、その目的にそぐわないものは不要だ。だが、「私達を手助けしてくれる良いチェックリスト」は、受け入れていくべきだ。

現代の人々は様々な「システム」に頼っている。システムを機能させるのは本当に難しい。自分自身が努力するだけでなく、「その他の多くの要素が効果的に連携」しなくてはいけない。

医療と車は似ている。「良い部品を揃える」だけではダメなのだ。だが、医療業界は素晴らしい部品を集めるのに固執している。最高の薬品、最高の機器、最高の専門家を求める一方で、「それらをどう調和させるか」について、あまり考えていない。このやり方は間違っている。

少しでも「システム」について知っている者ならば、「各部をそれぞれ最高のものにしても、全体が良くなるわけではない」ということを理解しているはずだ。例えば、世界最高の車を作るために、世界最高の部品を集めたとする。フェラーリのエンジン、ポルシェのブレーキ、BMWのサスペンション、ボルボのボディーを組み合わせたとしよう。でき上がるのは、世界最高の車からはほど遠い、「高価ながらくた」だ。(バーウィック氏/医療システムの専門家)

私達が医療でやってきたのは、まさにそれだ。次々と「医学の発見」をしているが、「それらの発見をどうやって医療の現場に取り入れていくか」について、あまり考えていない。「失敗の原因を究明する機関」もない。「使い易いチェックリストを作るもの」もいない。「各月の結果を記録し、成績を分析するような機関」もない。数多くの分野が医療と似たような状況にある。日々の失敗を精査することは、まずない。「ミスの傾向」を調べようともせず、ミスが繰り返し起きていても、何も対策を講じない。

誰しもが「細部の見逃し、知識の誤適用、凡ミス」などに悩まされている。でも多くの人々は、「ひたすら努力を重ねる以外の解決方法はない」と思い込んでしまっている。

人間に飛ばせるかわからないほど複雑な機械(飛行機)を前にした彼らは「人間の限界」を認め、「チェックリストの力」に気づいた。「複雑化した現代に私達」に他の選択肢はない。素晴らしい能力とやる気を持った者でさえも、同じミスを何度も何度も繰り返していることに気づくはずだ。ミスは起き続けている。「今までのやり方」を変えていかなくてはいけない。「チェックリスト」を試してみて欲しい。

(アトゥール・ガワンデ『あなたはなぜチェックリストを使わないのか?』)

2013/11/17

オレたち花のバブル組

池井戸潤『オレたち花のバブル組』を読む。半沢直樹の第二弾。老舗ホテルの再建、銀行内の派閥争い、金融庁のボスと対決。満足度★★★★★。

半沢直樹の「倍返し」が、さらにパワーアップ!対決のハラハラ、ドキドキ感は、期待どおり。サイドストーリー(近藤さん)の方も「サラリーマン賛歌」的で面白かった。登場シーンは少ないが、嫁の花さんの活躍(?)も痛快モノ。

こりゃ、一気読みしてしまうがな。フィクションだから、展開を楽しみながら読めるが、これが現実なら、ドロドロの人間模様で、仕事どころではなくなるな。恐ろしや・・。

半沢直樹シリーズは、『ロスジェネの逆襲』『銀翼のイカロス』と続いているようだ。「倍返し!」の楽しみは、まだまだ続く!

【語録】

・遠慮ばかりしていても、認められることはない。だったら思い切り「本音」で行こうじゃないか。「本当の自分」をさらけ出し、それでも認められねければ、しょうがない。

(池井戸潤『オレたち花のバブル組』)


2013/11/15

オレたちバブル入行組

池井戸潤オレたちバブル入行組』を読んだ。「やられたらやり返す。倍返しだ!」の台詞で、2013年にテレビドラマで大ヒットした『半沢直樹』の原作の第一弾。 責任を押し付けられた課長が債権回収と倍返しを図る。満足度★★★★★。

元銀行員である著者の池井戸潤氏の「銀行観」が、登場人物達の口を通して随所に現れる。銀行だけでなく、「組織の問題」としても「世の中、こういうものだ」と勉強になる。大組織の出世競争は、てーへんだ!


【語録】

元銀行員の経歴を生かして独立するのなら、本や雑誌に寄稿し掲載されるほど「書ける」か、何度かはある講演の機会を逃がさずリピーターが来るほど「話せる」かどちらか、あるいは両方のスキルがなければならない。俄かコンサルタントは看板倒れに終わるのがオチ。

銀行に長くいたといっても「専門的なスキル」がある者は少ない。しかも「元銀行員の看板、一流大学の経歴」は再就職先にとっても「使いにくい」と映る。元銀行員にもプライドがある。この「需要と供給のギャップ」が埋まらない限り、再就職は難しい。

大物の支店長ほど、行員をよく気遣い、守る。だから「人望」も厚い。

銀行員である前に「人」であれ。

銀行という所は「人事」がすべてだ。「ある場所でどれだけ評価されたか」、その評価を測る物差しは「人事」である。だが、その人事が常に公平だとは限らない。「出世をする者が、必ずしも仕事のできる人間ではない」ことは周知の事実。

古色蒼然とした官僚体質。見かけをとりつくろうばかりで、根本的な改革はまったくと言っていいほど進まぬ「事なかれ主義」。蔓延する保守的な体質に、箸の上げ下げにまでこだわる幼稚園さながらの管理体制。なんら特色ある経営方針を打ち出せぬ無能な役員達。「貸し渋りだ」なんだと言われつつも、世の中に納得できる説明一つしようとしない傲慢な体質。

「もうどうしようもないな」と思う。だからオレが変えてやる。そう半沢は思った。手段はどうであれ、出世しなければ、これほどつまらない組織もない。それが銀行だ。

池井戸潤オレたちバブル入行組』)

2013/09/28

荒島岳

百名山の一つである「荒島岳」を登ってきた。福井県大野市にある標高1,523mの山。別名大野富士。「山名の由来を説明する確たる説はない」という不思議感ただよう。「勝原コース」「中出コース」「佐開コース」の三つの主な登山ルートがあり、今回は「中出コース」で山頂へ。

荒島岳登山マップ(中出コース)

ススキが茂る林道を歩く。わずかに山頂が見える。

「二又」。二股してはいけません。

雨降り展望台

おおこば展望台

「とやのおとし」。どういう意味かいな。

足元

大野市が見える展望

小荒島岳(1186m)に到着

小荒島岳から荒島岳山頂を望む。まだまだ距離あるなぁ。

平坦な道の場所。その後に難所が・・。

シャクナゲ平

荒島岳の最大の難所「もちがかべ」

鎖やロープもある崖のような登りが続く

岩場とハシゴの連続

絶好の秋の登山日和


「前荒島」。山頂までもう少し!

荒島岳の山頂(1523m)に到着

山頂にある荒島神社

山頂から大野市を望む

荒島岳の場所

頂上から白山を望む

冬の白山連峰はこんなかんじらしい

Macpacの軽装荷物で登山

登山慣れた隊長が沸かす湯をもらう

山頂で食べる味噌汁とおにぎりは格別味!日本人万歳。

下山後、名水で疲れた足をアイシング

アイシング中。冷たくて、ええ感じ~。

車で近くの温泉「九頭竜温泉平成の湯」に寄る。露天風呂もあり、いい湯だった。

ボルガライス

荒島岳に登った後、帰りの南条サービスエリアで「ボルガライス」を食べた。変わった食べごたえで、美味しかった。( ^ω^ )

「ボルガライス」は、福井県武生市発祥のご当地グルメで、オムライスの上にカツをのせ、各店独自のソース(ドミグラスソースなど)をかけた料理らしい。「名前の由来が謎」というのがまた面白い。ロシアの一番長い川「ボルガ川」との関連がありそうだけど、ハッキリした事は不明らしい。


2013/09/23

北のカナリヤたち

始まりは、あの20年前の事故だった。「歌を忘れたカナリヤたち」のその後の人生と再会と再生。

レンタル映画で『北のカナリヤたち』を観る。北海道の離島に赴任した女性教師と6人の生徒の物語。満足度★★★★★。号泣もの。


原作は湊かなえ『往復書簡』。阪本順治監督。主演は大御所の吉永小百合(はる先生役)。生徒役は「森山未來、満島ひかり、勝地涼、宮崎あおい、小池栄子、松田龍平」という、今をときめく超豪華メンバー。

宮崎あおいが出演している映画なので、観ない訳にはいかない。(ここ強調)。

ミステリーな展開で、先生と生徒達の「再会」で、徐々に20年前の過去が、少しづつ明らかになっていく。合唱のシーンには、倍返し、いや100倍返しで魂を大きく揺さぶられる。

20年たってもある子供時代の「人と人とのつながり」はいいなあ。色々なポイントで涙腺にふれ、バリ感動!観て良かった。( ^ω^ )

20年前の分校時代

20年後の再会

予告編『北のカナリヤたち』

2013/09/16

夏の終り

だって、好きなのよー。どうしたらいいかわからない。

京都シネマで映画『夏の終り』を観た。満席。瀬戸内寂聴原作。年上の作家の慎吾と、年下の元駆け落ちをした涼太の二人の男の間で揺れる知子。つまり三角関係。満足度★★★★☆。


主人公知子を「満島ひかり」が熱演。二人の男は、小林薫綾野剛が演じる。染色のアートも見もの。満島ひかり園子温監督の映画『愛のむきだし』での好演を観て以来、注目している熱血演技派女優さん。

「人間らしさ」がプンプンして、主人公達もプンプンして、「どうしたらいいかわからない、恋愛の不合理さ」が全面に描かれる。観ている間はピンとこなかったが、観終わった後しばらくして、あー、そういう話なんだ、と腑に落ちた。

50年前に書かれ、 瀬戸内寂聴(現在90歳)が自身の体験を基に描き、100万部を超えるベストセラーとなった私小説の原作を読んでから、ストーリーを理解した上で観た方が、面白い映画なのかもしれない。もしくは、有名な小説なので、必読が前提の映画なのかも。

と思って、Amazonで『夏の終わり』を探すと、中古品しかない。新潮文庫なので、大型書店に行ったら置いてあるのかな。映画化されたことだし、はやく電子書籍化されないかいな。


映画『夏の終り』予告編

どちらの愛も、私を満たし、乱す。

2013/09/13

完全なる首長竜の日

乾緑郎『完全なる首長竜の日』を読んだ。2011年『このミステリーが凄い!』大賞受賞作品。SFミステリー小説。少女漫画作家の淳美は特殊な医療機器で、自殺した弟と対話する。満足度★★★★★。凄く臨場感のあるミステリーだった。これはバリ面白い!(^.^)/


「人の精神世界」に踏み込む。リアルかバーチャルか。境界線があやふやに。その人の「認識しだい」。ルネ・マグリットの絵画『光の帝国』もキーワード。

ルネ・マグリット『光の帝国』
The Empire of Light

”I have reproduced different concepts in The Empire of Lights, namely a nocturnal landscape leads us to think of night, the sky of day. In my opinion, this simultaneity of day and night has the power to surprise and charm. This power I call poetry.” (René Magritte) (夜の風景は、私たちにこの絵を夜だと思わせ、空は昼間だと思わせる。この昼と夜の同居は、人を驚かせ、魅了する力を持っている。この力が、私が詩的と呼ぶものなのです。ルネ・マグリット)

リアル~完全なる首長竜の日~』というタイトルで映画化され、今年6月に公開されているらしい。知らなかった。黒沢清監督、主演は佐藤健と綾瀬はるか。話の骨格は原作と同じだが、70%くらい設定はオリジナルらしい。レンタルが始まったら観てみよう。

2013/09/08

大統領の料理人

皆の「美味しい記憶」を引き出してみせる!

京都シネマで、おフランス映画『大統領の料理人』を観た。ミッテラン仏大統領の女性プライベートシェフの実話物語。原題『LES SAVEURS DU PALAIS』。満足度★★★★★。パリではなく、バリ感動!


「南極フランス基地」と「フランス大統領のいるエリゼ宮」の2つの場所での物語が交互に展開する。そこで活躍する女性凄腕料理人が主人公。「家庭風フランス料理」で大統領をうならせる。「ストーリーとしてのフランス料理」とでも言おうか、絶品料理が絶品解説とともに次々と繰り出される。

絶品の家庭風フランス料理

作られるフランス料理も凄くて見応えあるのだが、フランス大統領宮殿や南極基地内で随所に見られる「チームワーク」に心地よい感動を覚えた。また「私はプロですから」というセリフに、主人公の職業魂をズシリと感じた。「逆境の中でこそ、頑張れる」。そのセリフいただきます!(^o^)/

フランス料理人のドラマ

フランス大統領へ料理が出される

「料理」は、その国の文化であり、芸術であり、魂(情熱)である。

この映画を観た後は、料理を作って、その料理を語りたくなるな。世の中は、まだまだ食べたことがない料理が沢山あるんだな、ともあらためて実感。今、世界で空前の「日本食ブーム」らしい。将来は太陽電池でエネルギー問題が解決したら、「食」のテーマに取り組みたいな、とふと思った。「食材、料理」、これに関して日本はまだまだ"熱い国"になるはずだ。ポテンシャル(潜在能力)はずば抜けて高い。日本の「強み」を生かさない手はない。「将来の夢は必殺料理人」と、いつぞやの卒業文集で書いたのを思い出した。

フランス映画『大統領の料理人』予告編