猛暑の暑さもヤバかったが、三十三間堂もヤバし!感動とはこのことか。
日本に来た外国人が「三十三間堂に絶対に行きたい」というのを聞いて、前から気になっていた三十三間堂へ行ってきた。
本堂の1001体の千手観音像が凄かった。外国人が驚く訳だ。鎌倉時代の仏師は凄い技量だ。現代まで破壊されずに残っているのも奇跡に近い。なんせ菩薩像は金箔なので、治安が乱れたら、盗難の危険は多いにあったはずだ。建物が耐震構造というのも凄い。凄いモンずくしだった。
京阪七条駅から徒歩7分。三十三間堂に到着。
入り口。入場料は大人一人600円
本堂の中は撮影禁止。千手観音像を撮影する気満々だったが残念。
こんな感じで1001体の千手観音像がずらり。700~800年前(鎌倉時代)の作品に度肝を抜かれる。昔の人って凄いな。撮影禁止なので、目の中に焼き付けた。大地震で千手観音像が倒壊したら、二度と修復不可能な気がする。また、京都が空襲されていたら、この千手観音像も消滅していただろう。
三十三間堂で千手観音像とともに有名なのがこの「通し矢」
江戸時代の通し矢の風景
南からみた三十三間堂
iPhone5の「パノラマ」で撮影した三十三間堂。正面の柱間が33あるところから「三十三間堂」と呼ばれてる。
北から見た三十三間堂
遊歩道があり、三十三間堂のまわりを一周歩ける
太閤塀の説明板
秀吉が築いたという「太閤塀」
鐘楼と柳
本堂の正面
「夜泣泉」の説明板
「夜泣き封じ」の夜泣泉
後白河天皇の御所に三十三間堂は作られた。
後白河上皇院政庁「法住寺殿」の説明板
遊歩道
池泉
池泉と本堂
蓮(はす)
三十三間堂の朱印帳(1000円)
The red stamp book
観音経本(1巻1000円)
The sacred book
三十三間堂で感動した後、近くにある「京都国立博物館」へ。改装の工事中ということで、入らなかった。工事が終了したら、こよう。
京都国立博物館の正面入口
片山東熊博士の設計した煉瓦塀(明治28年、1895年)
The brick wall
煉瓦塀(れんがべい)の説明板
三十三間堂の近くにある「方広寺」へ。豊臣秀吉が東大寺の大仏よりも大きい大仏を作ったり(地震で消滅)、秀頼が作った大鐘に徳川家康がクレームをつけ、大阪冬の陣、大阪夏の陣で豊臣家が滅亡してしまったり(方広寺鐘銘事件)と、エピソードを多く持つ寺。大仏はもはやないが、「銅大鐘」が残っているとこが凄い。家康を激怒させたという「国家安康」「君臣豊楽」の文字も見ることができる。
国家安康の梵鐘(重要文化財)。大きさは高さ4.2m、外形2.8m、厚さ0.27m、重さは82.7トン
「国家安康」「君臣豊楽」の文字が見える
「国家安康」「君臣豊楽」の部分の拡大
方広寺大仏殿遺物(9点)の説明板
国家安康の鐘は凄く分厚い。歴史の重みに触れる。
鐘楼の天井画
度重なる火事で消滅した大仏殿のあった場所に、明治になって豊国神社が再建された。
豊国神社
豊臣家の家紋、五七桐(ごしちのきり)
水紋
帰りは、方広寺から五条大橋を通って、四条河原町まで歩く。真夏の炎天下だったが、高瀬川沿いの散歩は、そよ風もあり、割かし涼しげだった。
京名物「若あゆ」。京都の色々な所で売っている。冷やして食べると絶品の美味しさ。
夕刻の五条大橋から北を望む。
五条大橋。弁慶と牛若丸が出会った場所。
緑が生い茂る高瀬川
四条河原町に到着。高島屋の一角にあるこの三軒の老舗も色々と秘話がありそうだな。
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