2015/04/29

「走る小説家」村上春樹

誰が何と言おうと、それが僕の生まれつきの性格(ネイチャー)なのだ!

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んだ。「走る小説家」村上春樹が「走ること」を中心に書いた自伝的エッセイ。満足度★★★★☆。

「ノーベル文学賞をとるのでは」と毎年秋の風物詩と化している作家の村上春樹。2009年のエルサレム賞授賞式でのスピーチ『壁と卵』、2011年には「カタルーニャ賞受賞スピーチ(『非現実的な夢想家として』)」で、福島第一原子力発電所の事故について「私たち日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだった」と言及したり、最近は『村上さんのところ』というWEBサイトで質問に答えたりと、「社会派の作家」として光っている。

その一方で、村上春樹は「走る小説家」と呼ばれるほど、走ることに情熱を燃やしているらしい。全然知らなかった。この本は、「走る」ことと「小説を書く」ことは、その過程が大部分において似ている作業である、といった話。

「なぜ走りはじめたか」や「どんな事を考えながら走っているのか」「トレーニングの考え方」など、「走る」ことについて、独特の「ハルキ節」で語る。ランニングにはじまり、フルマラソン、ウルトラマラソン、最後の方はトライアスロン。まさに情熱ランナー。「走ること」とともに、「なぜ小説家になったのか」という自伝的なところもあり、そこも興味深くて面白かった。

最後の「墓碑銘」のとこが、いかにも村上春樹といったカンジでかっこいい。このラストを先に決め、その過程をブレークダウンして、エッセイを書いていった気がする。

墓碑銘にはこのように刻んでほしい。「村上春樹、作家(そしてランナー)、1949-20**、少なくとも最後まで歩かなかった」。今のところ、それが僕の望んでいることだ。

村上春樹は「ハルキスト」と呼ばれる熱狂的はファンを世界中に多く持つ。人気の要因は「無意識の世界を書いているから」との記載が本書にあった。学生の時は『ノルウェイの森』でハマリ度を感じたが、他の作品では、イマイチはまらなかった。しかし、社会人10年目をいつの間にやら超えた今なら、「ハルキスト」になれかるかもしれない。機会を見つけてぼちぼち村上春樹作品を読んでみよう。まずはデビュー当時の作品『風の歌を聞け』『1973年のピンボール』『羊をめぐる冒険』あたりを。今のところ、それが僕の望んでいることだ。


【ハルキ語録】

・「身体が今感じている気持ちの良さをそのまま明日に持ち越す」ように心がけている。長編小説を書いているときと同じ要領だ。「もっと書き続けられそうな所」で、思い切って筆を置く。そうすれば翌日の作業のとりかかりがら楽になる。断続すること。リズムを断ち切らないこと。「長期的な作業」にとってはそれが重要だ。いったんリズムが設定されてしまえば、後はなんとでもなる。しかし、「弾み車が一定の速度で確実に回り始める」までは、「継続」については、どんなに気を使っても、気を使い過ぎる事はない。

・ほんのささやかな「ありきたりの出来事」。でも、僕にしてみればそれなりに意味を持つ。有用な思い出だ。僕は、様々なありきたりの出来事の堆積の末に、今ここにいる。

・自分が興味持つ領域の物事を、自分にあったペースで、自分の好きな方法で追求していくと、知識や技術が極めて効率よく身につくのだということがわかった。翻訳技術にしても、そのようにして自己流で、身銭を切りながらひとつひとつ見につけてきた。だから一応のかたちがつくまでに時間もかかったし、試行錯誤も重ねたが、その分学んだことはそっくり見についた。

・人生には「優先順位」というものが必要になってくる。時間とエネルギーをどのように振り分けていくかという順番作りだ。ある年齢までに、そのシステムを自分の中にきっちりこしらえておかないと、人生は焦点を欠いた、メリハリのないものになってしまう。⇒小説の執筆に専念できる落ち着いた生活の確立を優先。

・「みんなにいい顔はできない」。店の経営も同じ。十人に一人が「なかなか良い店だな。気に入った。また来よう」と思ってくれれば、それでいい。「十人のうち一人がリピーター」になってくれれば店の経営は成り立つ。逆に言えば、十人のうち九人は気に入ってもらえなくても、別にかまわない訳だ。そう考えると気が楽になる。しかし、その「一人」には確実に、とことん気に入ってもらう必要がある。そのためには、経営者は、「明確な姿勢と哲学」のようなものを旗印として掲げ、それを辛抱強く、風雨に耐えて維持していかなくてはならない。それが店の経営から身をもって学んだことだった。

・人間というのは、「好きなこと」は自然に続けられるし、「好きでないこと」は続けられないようにできている。

・学校で僕らが学ぶ最も重要なことは、「最も重要なことは学校で学べない」という真理である。

・小説を書くのは不健康な作業。文章を用いて物語を立ち上げようとするとき、「人間存在の根本にある毒素」のようなものが抽出され表に出てくる。作家は毒素と正面から向き合い、危険を承知で手際よく処理していかなくてはいけない。毒素なしでは、真の意味での創造行為をおこなうことはできない。

・職業的小説家は、危険な体内の毒素に対抗できる「自己免疫システム」を作り上げなくてはいけない。真に不健康なものを扱うには、人はできるだけ健康でなくてはいけない。それが僕のテーゼである。「不健全な魂」もまた、「健全な肉体」を必要としている。

・若死にまぬがれた人間には、その特典として確実に老いていくというありがたい権利が与えられる。肉体の減衰という名誉が待っている。その事実を受容し、それに慣れなくてはいけない。

・歳をとるにつれて、様々な試行錯誤を経て、拾うものは拾い、捨てるべきものは捨て、「欠点や欠陥は数え上げればきりがない。でも良い所は少しくらいあるはずだし、手持ちのものだけでなんとかしのいでいくしかあるまい」という認識にいたる。

・身体が僕に許す限り、走り続けるだろう。フルマラソンを完走するという目標に向かって。これまでと同じような努力を続けていくに違いない。誰が何と言おうと、それが僕の生まれつきの性格(ネイチャー)なのだ。

(村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』)

【豆知識】

・村上春樹の父は京都府長岡京市の浄土宗西山派「光明寺」住職の息子。

0 件のコメント:

コメントを投稿